2008年1月30日水曜日

オイミャコン(すこし前のmixiより転載)



クソ寒い場所の映像をみた。
ヒトがあったかい感じだった。魚は喰われていた。
生き物はやさしいんだと思った。
寒くて、寒くなりたくなくて、ほかのものを喰って、それでもほかのものが寒くなりたくないのを分かるからやさしいんだって思った。
それは感情じゃない。

想像すること

想像することって、構造を消滅させることなんだ、と思った。

ここはいっぱい病んでいて、「正しさ」で測れるものはなくて、
その病みは、ものが生きてることの昏い構造からきているように感じる。

構造、っていっても、その単位やなにかを記号化できるものでもないし、
それを記号化する網の目のために記号がある、のでもまたないと思うけど。

そういう病のなかで、ものが動くなかに矛盾とか失望とかはいつも消えがたい、のかもしれない。だけどそういう圧迫のなかで、それでもその病のなかにいて、そして動こうとするもの (ここでは「想像」っていってしまうけど)は、その構造を消滅させるように吹こうとするように思った。

ただ構造の深くてもろいところから、それがいる場所や感じられる場所からでてくるのだと思った。悪意でも敵意でもなく、それもまた病みたいに流れてでて、構造を汚染したり感染したりするのだろう、とか。

きっとそれで構わないと思った。「肯定の物語」ということではなくてそう思う。

想像することは、物語や構造におもねるものではなく、それが動くように動こうとするものだし、構造は消滅させられなければ想像をはばむもののようにも思う。

自分勝手に、とかじゃなくて、構造の痛みとか手触りとか、あるいは自重(←じじゅう。「じちょう」ではないです)とか、そういうとこから、想像することはくるんだと思う。 くどいようだけど、なにかの病みたいに。

そんなことを思った。

2008年1月29日火曜日

ながぐつ

くろい雨が降ってやんで
泥道で水たまり
空は灰黄色
長靴ばしゃばしゃ
ばしゃばしゃばしゃ
濁った水が、飛び散る
上をみたら
空がわれる

2008年1月26日土曜日

メモ

目的論は反応も動きも殺す
「反応」は殺さなくていいんだな・・・
目的論がいやなんじゃなくて、反応が殺されるのがいやだったんだ

2008年1月25日金曜日

にがてなこと

どうも昔から言葉ってダメだ。いくらつかってもだいたい息苦しかったり大仰だったりする感じ。なんでかな。どっかで定義と似てるからだろうな。そうじゃなくいたい。遺伝子って言葉なのかな。違うんじゃないかな。遺伝子はそのメッセージのなかに定義を欠いてる気がする。あるいは区別を欠いている気がする。
区別を欠いてるって、すくなくとも(いわゆる)自然はそうだ。接木も、倒錯した性欲も、アレルギー反応も、みんな区別を欠いている。
細菌は屍骸でも生体でも区別なくつく。音楽もそうだ。すくなくとも言葉の定義性に隠されているそういう区別を欠いた領域はあるし、言葉もそれに支えられている。

俺がしっている学術的な知識からいえば、システム(←今回に限って悪口ではない)はデジタルの識別によって構成されるものだ。例えばアレルギー反応は、花粉と細菌を「同じもの」と識別しておきる反応だ。
しかしデジタルな単位は、アイデンティティを持っているわけではない。その理由は2つ。

①ある記号が、他の記号と同じものとして識別されるなら、それらは「同じ反応を引き起こす」トリガーとして扱われる。性倒錯と同じように「興奮できれば構わない」みたいな。例えば、鍵を持つ人間が誰であろうと、彼/彼女がドアの鍵穴に鍵を入れてひねる事ができれればドアは開く。

②その単位は、その外皮の張力によって維持されている。例えば水風船みたいに。風船が破れるほどの力学が加われば、それは破壊される。つまり単位が単位たりえるのは、その同一性によってではなく、自身の外皮の張力を維持できる力学関係においてだ。

言葉的なシステムってそういうのに反してるように思える。それは一見システム内の自己同一性によって、指し示す能力をもってるように振舞う。それが嫌いなんだ。力学で動くところのものの希求が動かないみたいで。
言葉も何も、ホントはハッキングと同じなんだよね、きっと。(いくら飾り立てられていても)プログラムに侵入する能力を備えているかいないか、で動いてる。
生物学的な個体を維持できるのも、その個体(を構成する要素群)が力学のなかで張力をたもてるか、ということであって、そういうとこでは「オンリーワン」なんて成立しえないだろうし。(例えば「人間(という言葉)」のオンリーワン性も。)
すごく乱暴に強引にいえば、みんな同じ暴力のなかに、力学としている。そこでは金を払うのも、音楽をきくのも、なにかの気持ちも、(そして言葉の隠蔽的な力学も、)同じ物差しで測られてる。オンリーワンなんか意味ない世界で、個体というものがあったりもする。いなくなって欲しくない友達だっている。
それが病みならそれでいいと思う(「いい」って変な感じだけど)。それが病みなら病みから感じられるものが感じられるようにいたい。

なぐさめ話

目的論というのは、おしなべて「なぐさめの物語」なのだと思いました。
たとえばデリダという学者がやろうとしたことも、「自己破壊-再構築、を繰り返す『終わらないなぐさめの物語』」をでっちあげようとしたのだと思います。
それらは「なぐさめが欲しい」とかの弱さから造形されることを求められたものかもしれないけど、弱さは「物語」で隠さなくていいのだと思います。

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好きな音楽をきいていて感じたことだけど、音楽ってからだに直接はたらきかけるような感じがした。デザインとかでもそういうのがある。からだがスムースになったりストレートになったりする感じの音楽はすごく好きだ。 (作者や奏者がカッコつけただけのとかは○uck youって感じだけど。)

この頃は、友達がデータをくれた「A Perfect Circle」というバンドの「Thirteen Step」というアルバムをよく聴いています。
「The Package」「Weak And Powerless」「The Noose」の3曲が特に好き。
最近、他にも貸してもらっちゃった。へへへwww

ケイゾク決定(+定義について)

いろいろ考えた結果、ここで継続することにしましたー。一時はサイト名を変えて(「欲望発電機」とか考えた)新装開店しようかと思いましたが、ちょっとリニューアルして継続することにしました。しばらくマイナーチェンジで試行錯誤してそうです。たのしみに待っていてくれた人も、特にそんなこともない人も、あらためてよろしくなのです。

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わたしはPである、という自己定義には、かならずPであること以外を拒むという否定が入ってると思いました。それはいらないことだと思います。わたしはわたしである、わたしはそのままである、ということも、そういうことがあると思います。それは否定だと思ったのです。
そして言葉をいうこと、絵をかくこと、数式を定義すること、といったなかにも、「それに関与する自分を定義する」という色がでてくるなら(数式の定義とか、「なにかを定義すること」には、「それを定義するもの自身の立場も定義するような表明が含まれる」と思います)、それはいらないことだと思いました。

2008年1月24日木曜日

次元のはざまに放り込まれた!

???: ???はデジョンを唱えた!
記事達: 「あーれーーーーーー」
???: 「次元のはざまをさまよい続けるがいい・・・」

たたた たーたーたー たったらー♪(FF風

ということがあったのかどうなのか、記事が消滅してしまいましたよ。
バックアップもばっちり取っていなかったので、さら地同然になりました。

ここまですがすがしくなったので、このまま継続するか、一度撤去するか、どこかで新装開店するか、ちょっくら考えてます。はたしてどうなるかしら。

今日は「自閉ではなく、なにひとつ目的からの興味がない、というところにいるならそれでいい」と思いました。 いろんなことがストレートです。