規範、教条、常識、名前はなんでもいいが、過去以外のすべてを空っぽにして、虚ろにしてしまうことがある。
わたしたちはきれいにいきるのだ、とか。
わたしたちは互いに優しくあるのだ、とか。
そいつ(話す側)も体験してもいないような教訓話を、ひたすらに耳元で垂れ流され続けて、まだ起きていない、あるいはいま起きようとしている、痛みとかよろこびとかかなしさとかを、踏みにじるような真似が、「きれいな生き方」だとでもいうのか。
ある部分では、「きれいな場所」などどこにも保たなくていいし、病が動くようにいっていいのだ、と感じたりする。
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