2008年7月26日土曜日

無題


saeglopur

二項の命題が矛盾するのは、命題が、それ自身が固定的であることに固執しているからだ。
命題が破綻したところには矛盾はない。
そこでなにが起きるかこそが重要なんじゃないか、と思う。
破綻は暴力だし変質だし、それは新しさも呼ぶ。台風のあとの空みたいに。
だけど台風の受動者として、台風が呼んだ新しさを享受するのはごめんだ。

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経済競争とか生存競争とか、「競争」っていう表現がある。
だけど何と何が「競う」っていうんだろう。
ただみんな、真剣に生きようとしてるなかで、壊れたり、痛かったり、やわらかかったり、かなしかったり、あたたかかったりするだけじゃないのか。

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ここは壷のようなところだと感じる。期待がいっぱい詰まった壷。
その期待が暴力を生むにしても、それでも暴力は期待や、生きたいという衝動から生じるのだと思う。
だけど、みんなその暴力を生きているにしても、それを実感を持って生きるのは、「みんな」なんていえる第三者的な立場じゃない、個人の領域だと思う。
それは第三者的な立ち位置にない、という点で孤独な領域かもしれない。
「孤独」という固定的な立ち位置に拠らない、つながりのなかの孤独というか。

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【追記】

この記事はホントは一続きになるものだったのが、書く機会を逸して中途半端になってしまっていたのを、そのままなのも落ち着かないなあと思い、後で小さな断片にしてみたものだったのです。

記事の文脈も、断片同士の文脈も謎なのはそこらへんがありまして・・

てか書けそうな感じがあるときじゃないと、その感じとか書けそうだったつながりとかが自分でもよく分からなくなりますね。ヘンテコなものをのっけてしまったと反省orz

2008年7月21日月曜日

あたまがいいって

自分でいうとバカみたいだけど、俺はたまに「keroさんあたまいいですね」といわれることがあります。
いう人に悪気はないんだろうけど、本人はそれをいわれるとちょっと凹むのです。
ふざけて自分で「俺あたまいいから~ww」とかいったりすることもあるけど。
でもそれいってるのもあんまりいい気分じゃない。

この頃知り合いで国家試験モドキを受けた奴がいて、そいつが「全体で○○位だった」っていってたんだけど、そういうのをきくと「試験での順位より、受かっていった先でどれだけモノとか人と向き合えるかのが大事じゃないかなあ」と思ったりするのです。

テストでどれだけできたかって、例えば陸上競技でどれだけタイムをだせたか、みたいなとこがあると思う。
いいタイムでれば、それってすごいなあと思うけど、でも仮に好きでもない競技を「自分はできなきゃダメだ」みたいな気持ちでやってたらつらいと思う。

自慢みたいなことする奴って、ホントはそれをやりたくてやってるんじゃなくて、何か「これができなきゃダメだ」みたいな強迫観念とかからやってるから、点数でたときに「自分はこれだけできたんだ。だから強迫観念がつけいる隙は持ってないよ」ってアピールをしている気がする。
他の人に対してではなく、自分の方にやってくる強迫観念に対して。
それってきいてても凹みます。

昔の自分もそういうとこあったんだけどね・・・。
育った家の一部の人が「お前は『優秀』じゃなきゃダメ」みたいな感じで、その期待に応えないとまずいし、それができなかったら自分はすごく何もないんじゃないかな、みたいに思ってたというか。
子どものときだけど。ああでも、そういう傾向はかなり長く続いていたな・・・(受験が終わってしばらくくらいまで)。

なぜかどういうわけか、変な試験では点数とれたのだけど、本人はちっともうれしくなかったのです。
強迫観念を「自分のプライド」だとすり替えていたし、いくら点数っていうモノサシからの評価もらっても、そのプライドからの圧迫があったので、ただイライラしてつらいだけだったというか。

「あたまいい」の発言聞くと凹むのの1つの理由は、その変なプライドモドキからの圧迫を思い出すから。

それともう1つの理由は、「それをいうのって、相手をみてるんじゃなくて、何かのモノサシで測った相手をみてるんじゃないかなー」と思うからです。ようするに「相手じゃなくてモノサシをみてるだけ」というか。

モノサシにも色々あるし、それは(ごく偏った)社会的評価っていうモノサシだけじゃなく、自分の卑屈さとかだったりもすると思う。でもそういうとこから相手みるよりも、そういうのじゃないとこからみたり接した方が好きだなー、と思います。

「モノサシの無い世界」っていう「モノサシ」を持ってくる、っていう意味じゃなく、自分でやってもそっちのがいい。てか最後は表題から全然ズレましたね・・・。

あと自分が思うのは、そういったモノサシが壊れた場所で、あるいは他のなにかとの関わりのなかでの、リアリティ、感情、軟らかさ、まぶしさ、葛藤、虚ろさやわからなさとかから、なにが望まれ、なにが起きるか、ということが大事なんじゃないかな、ってことです。

2008年7月18日金曜日

7/17

今日(今日というのは昨日だが)はじめてケーナが吹けた。
3年弱やってたけどはじめて吹けた。
今までずっと吹こうとして何もできなくて、悔しいわ腹立たしいわ情けないわって思いだったけど今日できた。
すげえ、やった感があった。はじめて納得した。
うまれてはじめて納得したかもしれない。
納得っていっても、最低の最低のラインに立てたっていうだけだし、吹けたっていっても実際それ以外何一つできなかったんだけど、でもよかった。
たぶんこれはうれしいんだって思えた。やったと思えた。
はじめて思えた

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蛇足になるけど、自分のなかで自閉したような音のでかたが、ずっと嫌で嫌でたまらなかった。
どうすればいいんだろうってずっと思ってた。
毎回、模索するたびにダメダメで、(比喩だけど)こんな音だしてるなら死んじまえと思ってた。
はじめて、他のなにかに向いて音が鳴るようなことができたと思った。
それがすごくうれしい

2008年7月11日金曜日

メモ

めんどくさい/めんどくさくはない、というのは俺にとって重要な判断基準らしいです。

麻痺や固執に固執した奴に付き合うのとか、固まったシステムとかの門番みたいなポジションにいるのは最終的にはめんどくさいです。めんどくさくないのがいいな

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自分はいろんなことをしらないなあと思った。わりといつも思うけど。
いろんなことがどううごくのかしりたいな。
しった分は体液とかがちゃんと動ける

2008年7月10日木曜日

マイコが好き!


「毎日、マイコ」という派遣OLのシュールな(?)毎日をかいたやつがあります。
http://imjoc.jp/

これすごく好きなんだけどww
どうしよう、とっても好きだー。

・・・全然紹介になってねえ;

まあこれが好きだっていう話ですよ。
おもしろいとかそういう感じだけじゃなく、なにかめでたいわけでもないんだけど、なんだか不思議にいいな、っていう気分になります。
4コマだとウィーク28の「同窓会1」「同窓会2」とか、
ウィーク24の「涙」が特にいいなと思う。

洞窟の話

この頃自分のブログをみかえしてみて、「なんだか金太郎飴みたいに同じ話がでてくるなあ」と思ったkeroです。
きっと自分にとってはそこが重要なんでしょう。
たぶん今回も金太郎飴みたいな話です。

洞窟の話ってのは、先日知り合いと話していて、卒論で扱う「暴力」についての話になって、そこであげた比喩みたいなものです。

・・・

仮にイキモノが2体、洞窟に閉じ込められたとする。
2体ともお腹がすく。生きたいし、生き延びて自分の欲求からの体験をしたい。

この場合、どちらかがどちらかを食べなければならない(仮定の話です・・)。
どちらも「生きたい」という同じようなベクトルの欲求を持っているにも関わらず、その同一のベクトルが関係性において葛藤、コンフリクト、矛盾を生む。

これが卒論で扱う「関係性の暴力」になるのかなー、っていう話をしました。

洞窟=関係性は、「2(体)」を生かすことはできない。
たぶん1.7体くらい。っていうのが俺の印象です。

くたばる0.3分はどうなるのか、っていうのが、きっと卒論のメインの話になります。
その0.3分が、まともにくたばる筋道?があるんじゃないか、と俺は思っています。
インチキ(いろんなインチキがあるけどそこは今は省きます)なしで、まともにできんじゃないの?と思ってる。100%とはいわない(「100%」ってインチキくさい)けど、まあ85%くらいはまともに。

そこで何かがちゃんとくたばることのなかに、新しさとか自由とか感情とか、そういういろんなことは集約されてくる気もする。1つには、って話だけど。

でもそれとは別に、洞窟って個体の欲求とは別なんだろうな、とも思います。
個体は、というか自分だったら、自分は生きたいし、相手が生きているのもうれしい。
痛いことや傷つけることなんか嫌いだし、好意をもっていろんなのにちゃんと関わりたいと思う。

だけど生きようとするなかに、これは具体でも比喩でもあるけど「食べる」というようなこと、それによって傷ついたり壊れたりすること、そういうことが含まれるのは、洞窟のハードさやシビアさ(←うまくいえないけど)なんじゃないかな、と思います。

(「食べる」ことをちゃんというと、「同一の方向性をもった2つのベクトルがあるときに、そのうち一方が一方を併呑すること」みたいな感じです。これが遂行されることに対して教条的な「正当性」からの理由付けはできないと思う。)

そしてそのシビアさと、個体の欲求は、そもそも(論理としては)無関係なのに、個体はそこに巻き込まれるんだろうな、とか。

そこらへんをちゃんとやりたいな、と思うのです。
宗教的なものとか、先取りされた話に棚上げしないで、ちゃんとやりたいなー、と。

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ところで再び「きみのブログアカウントは怪しいよ~」という宣告がきました。
ホントに消えてしまうのか・・・、おろおろ;
いちおう(消滅の反省を踏まえて)過去ログとってあるので、ここが消滅したり使えなくなったら引越し先にうつろうと思っています。引越し先はプロフィールのとこにかいてあるです。