2008年8月16日土曜日
プライドって
untitled #1 (vaka)
プライドってあんまり好きじゃなかった。自分がひどいカタチで持ってたのとかで。でもいまはそうでもないとこもあります。
ホントのプライドって、自分のことを好きでいたい気持ちとか期待だと思う。
それが折れたり潰されたときに、パターン化した「自分は○○な(例えば優秀な)はずだ」っていう、硬直したものがでてくるのだと思う。
(ホントはそういうときは、がんばったのだから休んでいいと思う。休むことが許されずに、硬直せざるを得ない状況は、とてもつらい場所だ。俺がアクセスしようとしているのは、そのつらさがどう向き合われ、どう解除(?)されるか、ということでもある、たぶん)。
自分のことを好きでいたいという期待はあっていいと思うよ。
何かができなくて悲しいのは、硬直したプライドが傷つくからじゃなくて、その底にあるやわらかい期待が傷つくからだと思う。
だけど実際重要なのは、できる/できないじゃなく、少なくともそれだけじゃなく、やわらかい期待が受け入れられることじゃないかと思う。
今の自分には分からないことが多いけど、パターン化された「プライド」を、パターン化した行為で保持したくなるのも分かるけど、でもそれだけじゃないとこを向いていいと思う。
予感、あるいは推測でしかないのだけど、ものが通るラインはある、と思う。でもそれは圧も鬱屈も、そしてときには硬直も含んだラインだと思う。それはパターンで押し切ってしまったらダメになるとこがいっぱいある、きっと。
・・・
そういう意味では、「健全なパターン」を探すより、パターンが破綻してしまうところを見ろよ、と思うこともあります。
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画像が再掲なのは気にしないで・・。keroは持ちネタが少ないのです。あと、この記事にはこれをのっけてみたかったというのがありまして
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【追記】
何かができなくて悲しい、というのは他にも、それができないことで、自分のやわらかいとこからなにかに関与することが硬直してしまうからだと思う。
でも、何かができたとしても、やわらかいところから関与することが硬直してるなら、それってやっぱり悲しいんじゃないか。
いや、できるようになるのは基本的にたのしかったりうれしかったりすると思うけど。
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