ボケたアタマで思ったことです。すっごい極端なんだけど、各国の教育って、ようするに軍隊選抜試験だなあと思った。「バッド・カンパニー」の描写をみたからでしょうか。
富国強兵ってまだ続いてんのか。そういう意味では。しかし軍隊そだてて何を得ようっていうんだろう。日々の糧か、それとも謎のなにかか。
国家も政治っていう名前の戦争、っていう名前の商売やってるわけだし、たいへんだ。そしてそういう意味では、優秀な軍人より優秀な商人のが強さを発揮するフェーズはあるのだと思う。
「利権」を「得る」という面で。
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個人といわれるものにおける新しさや体験や欲望を、非-「社会」的、というのはカンタンだと思う。だけどそういう非-「社会」的なものを生みだすレベルの欲望とか体験から、「社会」といわれるものがシステマナイズされる、という面もあると思う。
その意味で、個人といわれるものの体験を、非-「社会」的、といってしまうのは、それが「社会」的なものもつくりだすことがある、という点で、その体験自体への部分的な、あるいは決定的な否定になると思う。
儀式に飲まれるわけでも、非-社会的になるわけでもなくここに立つ、ということは、そういう分かりやすい否定を破棄してこの場所にいることのような感じもする。そういう面だけではないのだろうけど。
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ある面では、個人に求められるのは、なにかの儀式系に拠ってではなく、非システムを含んだシステムのなかで(あるいはシステムを含んだ非システムのなかで)自分の「利権」を「得る」ようなことだと思う。その「利権」はなんでも構わないのだろうけど。そして利権を得ることは侵害する/される、あるいはそういう暴力に関わることだと思う。これをいうには俺には準備が足りなさ過ぎるけど。
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システムがどう動いているのか知りたい。システムへのinとかantiとか、儀式に飲み込まれるとか飲み込まれないとか、新しさとか古さとか、そういうものがないまぜの場所に自分で立ってものを判断するのはおもしろい。ガキっぽいかもしれないけど、でもこれはシビアで酷くておもしろいのだと思う。そういうことをきちんとしたい
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