2008年12月25日木曜日

分業①(「内陸」の経済)


先日、集中授業でスロバキアのことをきいてきた。
スロバキアは中欧の国で、国土は日本の8分の1くらいの、山がちの内陸国家。チェコスロバキアから分離独立して、いまの国家形態になったらしい。

航空写真なんかだと、目立つのは国営工場と、平野と、街と古城だった。街は石造りで、中欧とか東欧っぽいちょっとかわいらしくて陰鬱な感じ。

授業はとちゅうで抜けだしたけど、思ったとこがある話では、教育産業の給料は平均より低くて、金融仲介業の給料は平均より高い、というのがあった。あと政府は人口がふえたらうれしいな的なことを考えているとか。

スロバキアのことはそこまで詳しくないので、こっからはだいぶ推測が入るけど、金融業が有利だっていうのはなんだか中欧のイメージとしてある気がする。古い質屋や人形屋みたいなのが街なかにある印象。

で、もし仮に「金融業>農業とか牧畜」という風になるなら、それは食料とか(いわゆる)資源を、外国に頼っていることになる。それ自体はどうでもいいんだけど、ここで「貨幣」と「食料」が等価値になる、と思うようになるなら、それってフシギな気がする。

「貨幣」は、どれだけ情報化が進んだところで、「食料」とか「生活必需品」の流通形態においての、一時的な価値しかもたない。それは取引における認証札であって、取引から離れたらただの金属片や紙片だ。

だから本質的に価値があるのは、食料や生活必需品であって、貨幣ではない。そして食料や生活必需品の「製造」には、おおむね収奪の暴力がかかわっている。そして貨幣が機能するのは、その収奪-製造が「流通ライン」にのり始めたときだとするなら、貨幣の価値は暴力に基づけられている。いってみりゃ貨幣そのものに価値はまるっきりない。

で、収奪の暴力が「自分の手で」できなくなったらダメじゃん、と思ったのです。いくら貨幣をもっていても、自分で収奪できないんだったら、その貨幣の価値は外部で「収奪を行えるもの」によって決定されることになる。それっていいなりだってことだ。

で、いいなりになる、ってことは「外部が規範になってる」ってことだし、外部のお伺いをたてないと動けないってなることだ。それはつまり、生活が「貨幣」に隷属したから起きることだと思う。生活が貨幣に隷属し、貨幣が外部の収奪によって価値づけられる=外部が規範になってる=外部に隷属してるなら、生活が外部に隷属してることになる。それってすごくアホらしい。

金融業がどれだけ発達しても構わないんだろうけど、その裏でどういう風にすれば自分が餌とれるか分かってないなら、それは金融への隷属だし外部への隷属になる。でも外部って、隷属の対象じゃなく倫理の対象でないのか、と俺は思います。そして倫理的関係ってのは力関係だし、そこに話をもってきたいのなら、自分で収奪できる方法なりネットワークなり分かってないとな、と思ったりしました。

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