情報管理業者は儲からない。と俺は思ってる。
いや実際には儲かるんだけどさ、きっと。
情報管理業者ってのは、例えば羊が何頭いて、何頭生まれて、何頭殺して、何頭運ばれたかを書きだして保存したり渡したりする業者のことだ。
それはでも、羊がいなければ儲からない。羊がいて(魚でもいいけど)、それが生まれたり殺されたりして、それを運んで口に入れるとか、そういうことがないと儲からない立場にあるわけだ(と俺は思う)。
だから情報管理業者は、二次情報を扱う立場だ。そして二次情報は、羊が生きてること、それに手を下したりして殺すこと、それを食べること、そういう一次情報の上で成り立っている。
羊ってのはなんでもいいです。たとえば遊ぶこと、たのしいこと、何かが失われたこと、そういうことが当事者に起きたとき、そこでは一次情報が発生する。それが「羊」だと俺は思う。つまり比喩なんだけどね。
だけど二次情報業者が儲かるのは、どこかに一次情報者がいるからだ。でないと二次情報なんて基本的には空っぽの意味しかない。
でも二次情報業者はいる。それは全然いいと思う。だってそういうのって便利だから。必要じゃないかもしれないけど、ものすごーく便利で、その便利さを必要性と同義にしてもいいと思っちゃうくらい便利だから。
だけど二次情報業が一次情報なしで成立すると思ったとき、あるいは貨幣や金融が羊や魚なしで価値をもつと思ったり思い始めたとき、それはどっかでヤバいことになってる感じがする。
そのヤバさは色々な言い方があるんだろうけど、その一つとして、リアリティの欠如があると思う。つまり神様とか(俺は別に宗教反対ではないけれど)、○○様とか、××様が、ではなく、当事者としての自分が、生きた世界を生きる、ということから隔絶してしまう、ということだと思う(*)。
それは価値観の問題かもしれない。だって別に生きた世界なんてどうでもいいヒトなんていっぱいいるだろうし。でももっと直裁にいうなら、それは自分の手を動かすことが、自分が生きていくことと無関係になってしまうことだと思う。それは自分で飯をくえないってことだ。そんな風になるのは問題だ、と俺は思うよ。
どっかのだれかが作ってくれた国家とか経済とかシステムにのって、意味わかんないで収奪して、生計が成り立ってるならそれでいいのかもしれないけど、それだといつかシステムを食いつぶす(かもしんない)。それはシステムに自分が食いつぶされてるのと同じことで、そしてもっと間抜けなことというか、結局は自分で自分の遭遇や体験を食いつぶしてるんだと思う。
*:この辺、自分の捉え方が雑すぎて泣きそうになるんだけど、でも「固定された価値観」とは分業できないんじゃないか、って思うんです。それはこっちがスポイルされるだけになるんじゃないかと思う。
分業が細分化して大規模化して、そういうところがすごく見えにくくなってるけど、でもそこを見逃したらすごくいろんなことがダメな感じにならないのか。むむむー、よくわからん(T_T)
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