2009年1月26日月曜日

遊び場のこと

どうも自分が過ごした家庭はアホだったようで、そこで俺は「keroはいい学校いっていい生活送るんだよ」みたいなこといわれてた(気がする)。

しかしいい生活ってなんだろう。例えば誰かがつくってくれてる学校のうち「いい学校」にいく。誰かがつくってくれてる経済のうち「いい会社」にはいる。誰かがつくってくれてる「国家」のなかで、平穏にすごす。俺がいわれたことはそのようなことに思える。

それはつまりシステムや遊び場や経済をつくってくれてる「誰か」におんぶにだっこで、自分は彼らのいうこときいて、平穏無事に暮らしなさいってことなんだろうか。

「いわゆる東大にいく」とか、「いわゆるエリートになる」とか、そんな話が過去のものだとしても(実体は知らん)、そういうのってつまり「システムをつくってくれる誰か」が囲っている奴隷のなかで、いちばん待遇のいい奴隷になりなさい、っていう話と似てる気がする。

そんなんじゃないじゃん。そんなのアホじゃん。それって「誰かがつくってくれるシステム/物語」の「コマ/キャラクター」として生きるだけで、自分自身の当事者じゃないじゃん、って思う。

どっかに主人をつくって、自分をその奴隷ということにして、主人が与えてくれるもののなかで生きるのなんて空っぽじゃん、と俺は思います。俺は主人が与えてくれたなかで最上の遊びをとるより、自分で漁場にでかけて(でかけて、って隔絶ある感じで変だけど)、そこで遊ぶ方が好きだ。それが遊び場の1つのフェーズだし、それを欠いた遊び場はおよよって感じがする(*)。


*:それは、自分を当事者としない「誰か」がつくってくれた遊び場みたいな感じがする。そしてその場は「その誰か」を閉じたドアにした、閉鎖された部屋みたいな匂いがする。すくなくとも今の印象だけど、部屋の外で遊びたいなら、そのドアを開けないといけないと思う。それは「つくってもらっていた遊び場」が崩れることかもしれないし、そうでないかもしれないけど。でも「誰か」を「閉めっぱなしのドアに」して、そのなかで遊び続ける、というのは俺にはどっか気持ち悪い(自分がそのドアになるとかも何だかであるよ)。守られてるんだか閉じ込められてるんだか胡散臭い感じ

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