2009年2月13日金曜日

無題

小難しいいいかたをすればキリがないけど、すごく雑にいってしまうなら、ここにはすごくいっぱいの因習があるように思える。
それはつまり名前のことだ。例えば世界の平和とかいうけど、それが平和という名前のための平和であるなら、そこに自分たちはいないと思う。
平和のための平和とか、争いのための争いとか、○○様のための××とか、そういうものはつまり、名前のための何かであって、自分たちの何かや、自分たちのための何かではないと思う。

俺は笛を吹くけれど(あまりうまくない)、それが上手さのための笛だったり、技巧のための笛だったり、世界観のための笛だったりするのなら、それはつまり名前のための笛なのだと思う。
そんなのはつまらない。名前がどうあろうと、そこに笛があって、真剣に遊び尽くすために身体や息を可動できないのなら、それは生きていて死んでいるような笛だと思う。

因習などに依らず、真剣に遊び尽くすこと。そうしようと思う。今までもそうしようとしてきたけど、いっぱい甘さがあった。甘えはきらいじゃないけど、甘えから生じる因習に拘束されるのは好みじゃない。
甘えとか弱さとか、そういうったどうしようもなさを含めて、色々パシッとやりたい。そのように変えていく

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因習のなかで、色々ないことにしながらでもたのしむより、俺は因習などぶち壊してみえるものをみたい。そしてどれだけシビアでもハードでも、それはできると思っている。必要な因習もあるかもしれないけど、それが必要かどうか自分の手で確かめずに、ただ従って因習のなかで飼われているのは、俺にとっては何も世界を体験できずにいる過ごし方だ

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