東京にきました。暖かかった。上野をみて思ったことです
とても当たり前なのに、子どもの頃は分からなかったことがある。それはネオン街とか、ハンバーガー屋とか、道路とか、電車とかは、勝手に用意されたわけではなく、どこかの誰かがどっかから材料をもってきてつくったってことだ。
つまり俺にとって就職とは、その材料収集→加工→流通のプロセスを、自分でできるということです。ネオン街もハンバーガー屋も道路も電車も、俺が手をだして作っていけるものになる。
それは多分ずっと当たり前だったのだろうけど、長い間俺にはそれが分からなかった。いろんないい方ができるけど、それがシステムにスポイルされていたということだともいえると思う。あるいは世界と自分が隔絶していて、その間に誰のものともつかなく見えてるシステムがある、ように見えていたのだとも思う。
まあとにかくそうじゃないってことです。俺はたぶん単純なので、欲求も単純です。世界と自分とが不必要に隔絶していないこと。そういう場所を直に生きることが今の俺の欲求です。たぶん春には春の、冬には冬のよろこびや悲しみがあるし、それを無いことにするのは間違っているのだと思う。そして同様に、言語を用いてでも何らかのシステムを作動させようとする欲望を否定するのも間違っているのだと思う。
ここら辺のあいだを通行していきます。気分は荒地です。荒地大好き。シビアでたのしいから。そして行為が自分のものだから(orシステムのものではないから)。荒地はなにかの神秘ど真ん中です。生きることも死ぬこともSEXも産まれることも食うことも養分になることも排泄することも病むことも醜いこともつまらないことも美しいこともここで起こる。行くぜ。欲求がそうあるなら街はつくりかえられる、と思ってる。少なくともそれがシステムのものでない程度に。そしてその「程度」はすげえあると思ってる
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