作場さんという人(リンクにある------r-u------のヒト)が、
やはり「俺は今現実と向き合っているぜ」という感覚に対してこそリアリティという言葉が使われるべきです。
とかいていたのだけど、全くそう思う。その通りだと感じる
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俺がある面で求めているのは、リアリティを前にして、リアリティにいて、からだがどう動くか、というその一点だけだといっても過言じゃない。てか、その面ではそれだけでいい
そういう意味では、自分にとっていちばんリアルさがある場所で手を動かしたい。(自分にとっての)リアルさを起動する場所。ひずみ
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リアリティが起動する場所にいきたい。自分にとってのリアリティが、その場所のリアリティと連結するような場所。それは(相互に)補われる、ような甘さじゃなく
「場所」というのは立ち位置のことにすぎないのかもしれないけれど、そう感じる
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そういう場所で、欲望とか脆さとか愚かさといわれるものの、疎外を含んだ(あるいはひずみを抱えた)つながりのなかで、どういうふうにからだが動くのか、ということだ。
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余談だけど、自分は就活とかもそういうとこを組み込みながら「箱」としての会社を選んでる気がする。結局、どの会社、どのサークル、どの組織にいようが、それは「箱」についた名前が重要なのではなく、そこでありうること、ありうるつながり、ありうる疎外、ありうる変質、ありうる体験、そういうことが本質的なのだと思う
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